3週間に渡るノースショアレポートの最終報告となりました。
でん助にとって今回のノース取材の最大のテーマは、パイプラインマスターズで誰が優勝するか? ということに最大の興味がありました。
マスターズで決まる世界チャンピオンの行方はメディーナが獲得するとして、でん助が描いた最高のシナリオはというと、ジョン・ジョンとメディーナが決勝でパイプラインキングをかけて対決し、ジョン・ジョンがめでたく優勝するというものでしたが、一方ではメディーナが勝ってブラジル人として初めて歴代パイプマスターの仲間入りを果たし、ブラジル人がノースショアに歴史的な金字塔を打ち立ててほしい。そのときノースショアコミュニティーがどんな反応を示すか?ブラジル人の快挙がそこまで容認されるのか? これにも大いに興味を引かれていました。
結果は、オージーのジュリアン・ウィルソンが最後にバックドアで決めた9.7で優勝しましたが、その直後にパイプをメイクしたメディーナのポイントが9.2というのが、でん助には解せないところです。試合後にリプレイで見たところ、ジュリアンのチューブは浅く9.7には遠く及ばず、メディーナのそれは逆にディープで9.2が低すぎるとみえました。もしかしたらメディーナ優勝が現実だったのかもしれません。
今では冬のノースショアでサーフィンすることは普通の出来事のように伝えられていますが、かつて70年代後半から80年代の日本ではノースショアアタックといわれ、冬のヒマラヤ登山隊ならぬノースショア決死隊みたいな感じで、添田博道、久我孝男、糟谷修自、関野聡たちを先頭に、ジャパニーズサーファーたちはサンセット、パイプライン、そしてワイメアに挑み続けていました。
ブラジリアンのノースショアアタックも1970年代後半からで、ジャパニーズサーファーのそれとほぼ時を同じくして始まったのです。何事にも礼節とリスペクトを忘れないジャパニーズサーファーに対し、当時はブラジリアンナッツという別名があるほど熱い気持ちをサーフィンにぶつけていた彼らには、ノースショアのロコボーイや白人の先人達から様々な迫害やプレッシャーを浴びせられてきたが、今日に至るまで多くの紆余曲折がありながらもノースショアにしがみつき、現在では多くのブラジリアんがレジデンスとしてごく普通にローカルとなじんでノースショアでサーフィンを楽しんでいます。
ノースショアでともに同じ40年あまりの歴史を刻んだジャパニーズとブラジリアンですが、ブラジリアンには世界チャンピオンが生まれ、ジャパニーズは皆さんご存知の通りにプロサーフィン自体のレベルでブラジルには問題にされていません。これから先の10年でジャパニーズがどこまでやるか? 日本のプロサーフィンにもテニスの錦織圭のような世界で勝負するストロングプレーヤーの出現を実現させましょう。
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